先日ふらんぽんで紹介された 小畑リアンヌさんの本【なにやってんだろう私】
子供たちも巣立ち海外へ、フランス人のご主人を亡くし一人ぼっちになってしまった著者、還暦を過ぎた今までの生き様が描かれています。ふらんぽねーずたちの大、大、大先輩。
みんな興味津々で早速廻し読みしました。(太字の部分は本文より抜擢)
早速届いた本。帯の部分をよんですでに泣きそうになりました。
苦しかった。悲しかった。後悔した。でも、ただ一つ言えるのは生きていたという紛れもない日々だった。この異国の地で。この地に来てやりたかったことはまだ叶えていないし、何をしていいのかまだわからないと、この歳で今さら言っているのだからいい加減にしたいが、これが現実だ。
まさにこれこれ!何をしていいのかわからないというか、これからどうなるのか、このままでいいんだろうか?20代のころから40代になった今でも自分に問いかけ続けている言葉、、死ぬまで自問するのかな?
この本を残した理由
子供のためにとも思ったが、悲しいかな、フランス人の彼らには、この【自分への手紙】が多分読めないし、意味さえ理解できないだろう。子供たちとは以前から文化や習慣の日仏の差が格段にある。
そして最後は自分自身に残せばいいと、、棺桶にいっしょにほおむって欲しいと、、、
嫌々 そんなもったいない!私たち後輩たちが必要としていますよ~~~~~!!
私と娘は母国語が違う。言葉でわかりあえない親子なんだ。こんな悲しいことがあるだろうか
自分の息子も6歳だけどすでにフランス人。著者同様、一生懸命日本語で話しかけているけど帰ってくるのはフランス語。一人で日本語を教えるのにも限界がある。普段の日は宿題もありフランス語の読み書きで精いっぱい。母国語で息子と意思の疎通ができないなんて悲しすぎる。そういえば作家の辻仁成さんも息子さんの言っていることがわからない時があるといっていた。辻さんのところなんて元日日カップルなのに、、ハーフの子供は勝手にバイリンガルになるのだと思っていたら大間違い。しっかり読み書きを勉強していかないとそうはならない。それも簡単なことではない。大都市に行けば日本語補習校なんかあるのだけど、こんなド田舎ではどうすることもできない。息子が勉強しやすいようにipadのアプリを利用したり、本の読み聞かせをしたりしているのだけど。一番効果があるのは日本に一時帰国することだけど、それも小学校にあがると夏休みの2か月しか長い休みをとることはできない。そしてその時期、南フランスは求職が沢山出る時期でもある。仕事をとるか息子の日本語のために日本に帰るか(そうするとまた失業者になる)葛藤。
娘の言葉【これからはパパと学校に行くからママは来なくていい ママ、ここはフランスなんだからもう日本語話さない】
ただただ切ない、、、私も言われたことあります。ここはフランスだから日本語はいらないよと。ママがどんだけ苦労して日本語を身に着けようとさせているのかまだわからないかな、、心が折れそうになる。でもバイリンガル教育が身に付く最終年齢は8歳から12歳くらいのうちでそのあとはあまりかわらないらしい。できるところまで頑張りたい!
著者は義理の家族との関係はあまりよくなかったみたいで、、最初から義理母は私は日本食は食べません(味見もせずに)だとか、、生魚が食べれないとかならまだしも、、それはきついよね~。幸い私の義理両親は喜んで食べてくれるけど。
そうそうフランスは専業主婦は10人のうち1人か2人。なので働いているのが当たり前な感覚。そのことでも非難されているけど。こっちだって働きたくても働けない状況なんだからそれをもう少し理解してほしいよね。言葉の問題もあったり、義理の両親が近くにいないと子供を預かってくれる人もいない。保母さんたちも土日はみんな休みだし、シッターを頼むこともできるけど日曜日なんか下手すると自分の給料以上の料金を取られたりするので、、、
咽頭摘出手術後のため話せなかったので、小さなホワイトボードにフェルトペンを叩きつけ、乱暴に書きながらこちらを非難した。読めなかった字
わかる~~~~~!フランス人字が汚すぎる!(フランス人もぼやいてた)
筆記体で書かれると字が汚い人はもう問題外、うちの義理父がそうでミミズがくちゃくちゃ並んでるようにしかみえない!(ごめんなさい義理父)旦那は字は綺麗なほうだけど筆記体でかかれると読めないところがやっぱりある。
でも最後には
運命のいたずらで、こんな田舎のフランスの片隅に来てしまい、ひとりぼっちになった。後悔だらけだけど、どこかに自分を救うものを見つけなければ落ち込んでしまう。地べたに這いつくばってでも、起き上がり時は何かをつかんでいる自分を信じよう。
もう過去を振り返るのはやめよう。いつでも覚悟をしなければ物事は一歩も前にすすまない。残された人生、前を向いてこのフランスで歩いて行ってやる。杖を持ちながらでも。
自分もこのまま旦那と老後をおくれればいいけれど先に行かれたら路頭にまようだろう、、
日本に帰ったところで仕事や住むところの問題もあるし、フランスに残り未亡人の日本人女性たちとアソシエーションでもつくろうか?
でも彼女たちの世代は今まで以上にたくさんの苦労があったと思うし、彼女たちの存在自体が今の私たちのフランス生活の道をより快適に(以前よりは?)してくれているのではないだろうか?そう意味では感謝の気持ちを忘れてはいけない。
一度、お会いしてもっと話を聞いてみたくなったのは私だけでしょうか?
と同時に気分がどんより落ち込んだので次はポジティブになれる引き寄せの法則(ザ・パワー)を読むことにしよう。
投稿者プロフィール

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海外在住歴20数年、23歳の時単身渡仏、留学を経てクラブメッドでGOとして世界中を転々とする。
フレンチポリネシア領タヒチ、ボラボラ島で今の旦那と知り合う。
同島でホテルスタッフとして働いた後、旦那の仕事の都合でカリブ、モロッコ、モーリシャスに在住。もう移動は嫌だ!とフランスに住むことに決めたものの、サボア地方、ブルターニュ地方を渡り歩き現在プロバンス在住。神戸出身のママライター。趣味は筋トレ、お菓子作り、手芸、物作り。
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